りぃだあのブログ
3/30(土)のさくらまつりは出演できません。
毎年3月に行われる、尾張旭市の『城山公園さくらまつり(3/30~4/8)』ですが、今回は3/30(土)開催予定のステージイベントに尾張旭ローカルヒーロープロジェクトのキャラクター(シュラバスター・ティーバトラー)は登場しませんので、あらかじめご了承ください。
出演者の枠に対して応募団体多数のため「抽選で出演者を決定する」という近年の流れのあおりで、今回は抽選にハズレた形になります。
新たに「尾張旭市ふるさと大使」に就任されたTOMOさん(DA PUMP)のお披露目式ということで、シュラバスター・ティーバトラーも何とかその場にいるだけでも出来ないかな?と思ったのですが、出せば(僭越ながら)子どもたちが寄ってきてくれて少なからず塊が出来て、運営さん側が安全を確保できない(予定にないものが出てくるのは運営視点で見れば“不測の事態”だと思いますし)というのも本意ではありませんので、残念ながら今回は会場にキャラクターを出すプランは断念します。
これまでは『地元のイベントにステージ出演』という形がほとんどでしたが、このさくらまつりにしろ、10月の市民祭にしろ、すっかり「抽選形式」が主流になって事前計画も立てづらくなってしまいましたし、ステージ出演は「応募する」のではなく「呼んでいただく」ものだけに絞って、映像(前から話は出ていますが、動画作成が苦手なワタシの腰が重いせいでずっと先延ばしになってきています…)など他の形で活動していく方向にシフトする時期に、いよいよなってきたのかもしれません。
「舞台の上」で育ってきた自分みたいな人間からすると、それこそ“不本意”だったりはするのですが(^-^;
「劇男賽己楼」の話
前のブログと一緒に飛んで行ったお話の中に「劇男賽己楼(ゲキダン サイコロ)」があります。
以前書いてからだいぶ経つので改めて触れてみると、自分が大学生の頃に所属していた路上パフォーマンス集団で、一世風靡セピアさんのコピーから入ったパフォーマンスをしていました(団体の名前もセピアの母体である「劇男一世風靡」から来ています)。
最も活動していた時期には月2回ぐらいのペースで大阪城公園と、JR京橋駅(の前に停めてある自転車たちを一斉にどかしてスペースを作るという、今なら迷惑防止条例違反で送検されそうなことをやりつつ)でゲリラ的に踊ってすぐ逃げる(ん?)ということをしていました。
こんな雰囲気ですね。ワタシだって3○年前はこんな感じでした(^^;
芸能集団(?)として何か爪痕を残したか?と言われると「答えはNo」で、結局アマチュアの域は出なかったわけですが、そのとき身につけた「運営のノウハウ」と「知らない人たちの前で突然パフォーマンスする○ソ度胸」は、後に現在の活動で活かされることになります。ハタケは全然違いますけど気にしない(笑)。
なんで突然この話を掘り起こしたかと言うと昨日その時のメンバーと久しぶりに食事して、持参してきた「当時の動画」を見ながら思い出話に花が咲いたからなのですが(^-^)、おおよそ3年ぐらいの活動期間の中で、「デビュー当時」と「約2年半後」の動きを連続で観ると、同じことをやっているはずなのにやっぱり「何かが違う」んですよね。
「何が違うのか?」をとてもじゃないけど説明できなかったりもしますが。
2年半も続ければ当然振付が自然な動作の一部みたいになっていたのもあるものの、自分限定で言うとデビュー時は「1,2,3,4」というカウントに合わせて動いているのが、2年半後には「1,(1.5),2,(2.5),3,(3.5),4」みたいに妙な「余計な動作」が加わっていて、でも基本の音は外していないという小賢しいことをしているわけです(笑)。
いま殺陣をやっていても、慣れてくるとそういうことをしたくなる時があるので元々の自分の本質なんだと思いますが。
今と違うのは、当時は「振りをつけてもらう」ばかりで、でも「見ていると段々できるようになってくる」自分の特性のせいで他人よりは割と覚えが早いというか時間に余裕ができるというか…なので、その分いらんことを考えたがったんでしょうね。おそらく。
ちなみにこの「見てたら何となくできるようになる」特性は、きっちり娘に受け継がれているようで嬉しくなります(^^)。
いわゆる「見取りの力」が発達しているんだと思いますが、この特性が将来何らかの形で娘の役に立ってくれたら父としては嬉しい限りです。
自分のパフォーマンスの原点ともいえる「劇男賽己楼」の話、今後もたまーに登場すると思いますm(__)m