りぃだあのブログ
【ご報告】父が亡くなりました。
思いきり私事で恐縮なのですが、ただ実家近くでショーを行う時は顔を出していた人なので、現場でお会いしたことがある方に向けてここに書かせていただきます。
去る6月20日、父が永眠いたしました。82歳でした。
ちょうど1年前に大病が発覚して以来、緊急入院→集中治療室→地域包括ケア病棟へ転院→介護老人保健施設(老健)入所…と目まぐるしく環境が変わる中で、春先はリハビリの効果か運動機能がとても向上し、『ヘタしたら次の要介護度認定調査では要支援2とかになるんじゃないか!?』とこちらも戦々恐々としていたぐらいだったのですが、そこから5月に入って『転倒して頭を打って高熱を出している』という報告を施設の方から受けて(「転倒」が先か「高熱」が先か?がわからない状況でしたが)以来めっきり体調を崩し、食事も『美味しそうに見えない』と言って食べなくなってしまって、それでも環境を変えれば気分も変わるんじゃないか?と思って別の施設への転居を決め(そこに至るまでにかなりの下調べと下見をしました)さぁ契約書にサインしましょう…という矢先での今回の話となりました。
その日も夜22時の段階では看護師さんと会話をし、2時間後にまた看護師さんが巡回してきたらもう呼吸と心配が停止していた…とのことです。
もはや何が直接の原因かわかりません(逆に心当たりもあり過ぎます)が、何もわざわざ誰も見ていないときに逝かんでも…と思ったものです。
『介護って難しいなぁ。』と思い知らされる1年を過ごしたあと『それでもこれがあと10年は続くんだよな。』と思って腹をくくろうとしていたところでしたので、豪快な肩透かしを食らった気分ですが、昔から父と私はどうも話が噛み合わない感じでしたし、結局最期まで噛み合わないままだったな…と思いつつ、ただ世間体は気にする人でしたので、喪主として本人に恥をかかせない送り出しをしようと決めて葬儀を執り行わせていただきました。
通夜が始まる15分前に私の靴のカカトが取れるというタイムリーなアクシデントは、はたして誰のいたずらか…(苦笑)
終身雇用制が健在だった昭和の時代の人らしく生涯を1つの会社で過ごしてきたためか、会社関係の方の弔問が予想よりはるかに多く、想定より大規模な葬儀になりましたが、認知症の症状が進んでもなお仕事の話をするぐらいの仕事人でしたので、そこは1つ会社の方々に報いていただいたように感じています。
父が亡くなったとて私の活動内容に何の影響も及びませんし、先述の通りどうにも噛み合わない親子関係でしたので正直なところ少し肩の荷が下りた部分もありますが、最後の最後でようやくこちらを頼ってくれたこと、それと忖度無しでダメ出しをしてくる(ダメ出ししか無かったですが)人がいなくなったことに対する寂しさのようなものを、10日経ってようやく感じ始めているところです。
次回は予定通り7月19日(土)16:15~「晴丘夏まつり」でシュラバスターショーです。
ここは誰に何が起ころうともブレません。
ただ、外からは見えないところに小さく喪章をつけて臨もうと思っています。
生前の父に関わってくださった皆様に、ご報告がてら御礼申し上げます。

